袖ヶ江マスターの東京日誌・・・護国寺その2・・・本堂を参拝して大隈重信公のお墓や庚申塔・・?

塩屋で、素焼きの窯出しをして、絵付け、釉薬をしてきました。
13日から再び東京へ行くので、今回の本焼きの窯入れは20日になりそうです。いい作品が上がりそうな気がしています(*^。^*)

さて、護国寺の続きですが、大きな仏さまのそばにはきれいな椿が咲いていました。
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桜はまだでしたが、椿は満開で・・・・・
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といえば、今、東京では見ごろを迎えているそうです。結局その桜を見る頃は葉桜で、こちら金沢へ戻ってからも見ごろは済んでいるような気がします。今年は縁がないのかな~

中断せずに次へ・・・・
椿を愛でて、本堂(観音堂)へ向かいました。堂々とした建物です。江戸時代元禄年間の建物で重要文化財ということです。

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本堂(観音堂) 「元禄10年(1697)に徳川5代将軍綱吉公の命により建てられた観音堂は、綱吉公の生母である桂昌院の願いによるもので(桂昌院は大変熱心な仏教信者であった)、自身の信仰する念持仏の奉納・祈願を目的として建立された。
 名前の如く如意輪観世音菩薩という観音様を本尊として奉っているが本尊は桂昌院念持仏の天然琥珀観世音菩薩である故、御前立として木像の如意輪観世音菩薩像(平安時代の作)が本堂の須彌壇に安置されている。
又本堂には大小様々な仏像が安置されていて、一般参詣者の為に裏本尊・如意輪観世音菩薩像や観世音菩薩の化身でそれぞれに桂昌院の御髪が納めてある三十三身像などがある。仏像以外にも観音堂造営の記念として奉納された綱吉公直筆の『悉地院』の篇額や、『噴水図』(江戸狩野派の作家の作)に代表される奉納絵馬などの貴重な文化的な遺産がある。
 外観は元禄時代の建築工芸の粋を結集した単層・入母屋造りの屋根をもつ大建造物で、関東大震災や東京大空襲などの災害にあってもその姿を変えることなく、元禄文化の雄大にして華麗な様相を今に伝えている。」(護国寺ホームページより)

堂内に入りお参りをして、多くの仏様や絵馬を拝して、しばらくは足の痛みも忘れることができました。
堂内は撮影禁止ということで、残念ながら心の中に焼き付けることしかできませんでしたが、護国寺のホームページ内に「護国寺のほとけさまたち」のページ(http://www.gokokuji.or.jp/NewFiles/New6.html)があったのでご紹介しておきます。
寿司に入っていてその御姿は拝観する事は出来なかったのですが、ホームページの写真では優しげな御姿の如意輪観音像です。
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(同ホームページより)

ゆっくりと参拝し、お守りを買い求め、外に出ると、おじさんに声をかけられました。
大熊重光、三条実美、山縣有朋などのお墓があることや茶室が多い訳など色々と詳しく教えていただきました。
聞かなければ、今回も何の下調べもしてきていないので、そのまま次の所へ行ってしまっていたと思います。
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で、案内に従って本堂の横に回り墓所を尋ねました。
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説明通り大きな石の鳥居がありその奥に堂々とした大隈重信公のお墓がありました。
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そうした御墓を見て回っていると。あの「空手バカ一代」の大山倍達氏の墓もありました。
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広い墓所を散策していると、名前が入った水桶が収められた小屋がありました。
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この日も墓参りに来た人がそこから桶をとり、墓地の中に入っていく姿が見られました。
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御天気も良く、梅の花もきれいで、しばらくはその風景を楽しむことにしました。
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ぶらぶらと散策していると変わった石塔にぶつかりました。
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近寄って見ると、「庚申塔」という説明の看板が・・・
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支えている猿の像もまた竜の浮彫も面白く、なかなかのものです。
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「庚申信仰」についてはあまり知りませんが、天帝に、自分の悪事を報告されないように、庚申の夜を仲間と和やかに過ごすとかいうことですが、なんともまあ人間らしい信仰だと思います。
その石塔から薬師堂を経て、月光殿の前を通り多宝塔まで戻りました。
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多宝塔の近くには多くの茶室が点在しています。この地を茶道のメッカにしようとか・・・・・とあのおじさんが説明していました・・・・
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少し時間をかけすぎてしまったようで、そろそろ次のところへと・・・・・(続く)








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